夏の風物詩である兵庫県の甲子園球場で行われている全国高校野球選手権を観ていると、負けたチームの選手がベンチ前の土を袋に詰めているシーンをよく見ます。
なぜ甲子園で行われる高校野球大会では、土を持って帰るのでしょうか。
その理由と持ち帰る砂の量、最初は誰が始めて伝統行事となったのかをご紹介します。
甲子園の土を持って帰る理由
甲子園の高校野球の伝統とも言える土の持ち帰りには、主に次の理由があります。
- 甲子園大会に出場できたという記念
- 再び甲子園に戻って来るぞという気持ちを忘れないため
- 試合に出場できなかった部員のため
- 母校のグラウンドに撒くため
- 甲子園の試合で負けた悔しさを忘れないようにするため
土を持って帰るのが定番の伝統ですが、実は学校や指導者の方針で土を持って帰らない学校や、また絶対次も戻って来るという意思表示のため、持ち帰らない選手もいます。
そして敗れたチームが持って帰るというイメージがありますが、負けなかった優勝校も野球大会の行事が終わったあとに、グラウンドから引き上げる時に、土を持ち帰ります。
甲子園で土を持って帰る量に決まりはある?
テレビで選手が土を袋に入れているシーンを見ると、結構な量を入れているように見えます。
数多い選手が全員持っていくと土が無くなってしまわないのでしょうか。
甲子園の土は球場整備のために用意している土であって、持ち帰ることを前提とした土ではありません。
本来は、球場の設備と同様の物なので持ち帰りは禁止の物なのですよ。
そのため、甲子園球場の所有者の阪神電気鉄道も高野連も、持ち帰って良いと公表している訳ではありません。
既に甲子園の伝統的な風物詩となったため、黙認しているだけなのです。
禁止している物に、持ち出す場合の量の制限をすることはありません。
量については、各学校の判断に任せているのが実情なのです。
実際には野球大会が全部終了するまでに、約2トンもの土が使われているようです。
甲子園の土を持って帰ることを最初にした人
持ち帰りの原点として次の3例がありますが、実際にそのことで定着したかははっきりしていません。
- 1937年に決勝戦で敗れた熊本工業の投手だった川上哲治(元巨人監督)が、ポケットに甲子園の土を入れて持ち帰り、自校のグランドに撒いた。川上は甲子園以外で別の選手がしたことの真似をしたと語っています。
- 1946年に準決勝で敗れた東京高等師範付属中の佐々木監督が、最上級生以外の選手に来年返しに来るという意味で持ち帰らせた。新聞で最古に記録されている持ち帰りですが、甲子園ではなく阪急西宮球場での出来事です。
- 1949年準々決勝で敗れた小倉北の福嶋投手が、ホームベースの後ろの土を無意識に摘まんでポケットに入れた。
まとめ
伝統として甲子園に参加したほとんどの選手が袋に土を詰めて帰るのを観客も含めて黙認しているようです。
しかし、死力を尽くして試合をするのと、土を持って帰るのを黙認するというのは、別のことだと思います。
黙認というより、完全に記念のお持ち帰り用の土として販売し、お土産にした方が良いのではないでしょうか。
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