目の不自由な方向けや視覚障がい者が利用する施設の案内や、読み書きに使う文字に点字があります。
点字は、1マス横2列縦3の6点を組み合わせて、文字を表現します。
点字が考案されたことで、視覚障がい者の方が一人で文章の読み書きをすることが、飛躍的にできるようになりました。
6点点字はフランス生まれですが、その6点点字を基礎にして、日本語に合う点字を作った人が石川倉次です。
その石川倉次のエピソードと、日本の点字についてご紹介します。
点字を作った人のなかで日本人は何人もいる
点字を最初に作った人は、1マス12点点字を考案したシャルル・バルビエ、その12点点字の欠点を見抜き、改良して新たに6点点字を考案したルイ・ブライユがいます。
二人ともフランス人でした。12点点字は暗号として、戦争時に使おうと思っていたようです。
日本では、西洋とは使っている文字や発音、文字数が違うので、6点点字をそのまま使うことができませんでした。
でも6点点字を、なんとか日本語でも使えるようにしたいですよね。
日本では、石川倉次が日本の6点点字を完成する前に、遠山邦太郎、伊藤文吉、室井孫四郎も6点点字案を発表しています。
しかし、いずれも欠点があり点字選定会において採用されませんでした。
石川倉次のエピソードと点字を作った理由
石川倉次は、静岡県出身で千葉師範学校を卒業後、千葉県の教師だった時に、カナ文字の研究会で知り合った小西信八に誘われて、訓盲唖院(後の東京盲唖学校)の教員に奉職しました。
当時の日本は、視覚障がい者用の文字は字を、版に凸状にした文字を使っていました。
その凸文字が、使いづらいことに疑問を持つ小西信八から、ルイ・ブライユの6点点字を基本に、日本語でもわかりやすく表現できるようにならないかと、依頼を受けました。
この依頼を受け、石川倉次は日本独自の点字を作ることに着手したのです。
石川倉次は、文字数が多い日本語や独特の発音などを表現するために、8点点字を考案し承諾を得ようとしましたが、小西信八は認めません。
小西信八は6点点字にこだわり、視覚障がい者が文字を読み書きするには、点が少ない方が良いと考えていたのです。
石川倉次は8点点字をあきらめ、苦労に苦労を重ね、ついに日本独自の6点点字を完成させたのでした。
そして、1890年11月1日に開催された「点字選考会」で遠山、伊藤案などを退け、石川倉次の点字が選定されたのです。
日本の点字と世界の点字
現在日本では石川倉次の6点点字に「ひゃ、ひゅ、ひょ」などの拗音を加え、点字の決まりを作り全国で統一したものを使っています。
世界では、英語圏の点字が各国などでバラバラでしたが、現在は英語圏8ヵ国で統一英語点字への移行が進んでいます。
現在、6点点字は主要国を始め世界中で使われており、利用国数は100か国以上に上がります。
ルイブライユが点字を作ることになったきっかけはこちら
まとめ
街の中でも見かける6点点字が世界中で使われ、日本では日本語に対応している点字を考え出したというのは見事です。
石川倉次先生に感謝ですよね。
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