ルイブライユは点字を作った人ということは有名ですね。
でもルイブライユはなぜ失明して、どうして点字を作ることになったのでしょうか。
点字とルイブライユがどんな人だったのか、そのルイブライユの家族と点字の歴史を紹介します。
ルイブライユが失明した原因
ルイブライユは、今からおよそ200年前の1809年にフランスで生まれました。
その頃、日本は江戸時代です。
1812年、3才になったルイブライユは片目を失明してしまいます。
失明した原因は、ルイブライユのお父さんが仕事で使っていたキリ(先のとがったあなをあけるための工具)であやまって片方の目をさしてしまい失明します。
それが原因となり、やがてもう片方の目も見えなくなってしまい、両目を失明してしまいました。
ルイブライユはどんな人で家族はどうしたか
ルイブライユには父と母、姉が2人、兄が1人いる4人兄弟の末っ子です。
1812年当時は、障害を持った子どもたちは勉強しなくてもいいという考えの時代でした。
目が見えなくなってしまってからも両親は、ルイブライユが生活できるように育てていました。
家族の協力もあり、7才になると目が見える人と同じ学校へ通いはじめました。
とても勉強熱心だったルイブライユは、自分で読んだり書いたりしたいと10才でパリの王立盲学校に入学します。
しかし、生まれた村から学校までは毎日通うには遠すぎるので両親や兄弟と離れ、寄宿舎に寝泊まりをしていました。
10才で家族と離れて暮らすのはさみしかったでしょうね。
盲学校を卒業したあとはその学校で先生としてはたらきました。
また、音楽の才能をいかして教会でパイプオルガンの演奏もしていました。
1852年、ルイブライユは肺結核のため43才という若さで亡くなりました。
点字の歴史をキッズに分かりやすく解説
ルイブライユがはじめて点字と出会ったのは盲学校でした。
シャルル・バルビエというフランスの軍人が考えたソノグラフィーという12点式の点字です。
これはフランス軍が暗闇でも文字を伝えるために使われていたものでしたが、とても複雑なものでした。
このソノグラフィーを、もっと使いやすくできないかとルイブライユが考えて6点式の点字を開発しました。
このときルイ・ブライユは16才でした。
その後、アルファベット以外にも数字や楽譜なども考えました。
そのため、たくさんの表現をすることができるようになり、目の見えない人に広く使われるようになりました。
フランス政府がルイ・ブライユの点字を公式に認めたのが彼が亡くなってから2年後のことでした。
それから「ブライユ点字」として世界中で知られるようになったのです。
日本では、石川倉次がブライユ点字を日本語でも使いやすいように考えます。
1890年11月1日に石川倉次の点字案を日本で使うことが決まります。
この日を記念して、11月11日を「日本点字制定記念日」となりました。
まとめ
ルイブライユは目が見えなくなっても家族は一緒に生活ができるように協力しました。
そしてルイブライユは勉強することをあきらめませんでした。
目が見えなくても勉強できたり、音楽が演奏できたりするように点字を考えたおかげで、今でも世界中でブライユ点字が使われているのですね。
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