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四国八十八ヶ所の逆打ちする意味!最適なのはいつ?見どころも紹介

石手寺
四国八十八ヶ所のお遍路は、逆打ちするという方法があります。

逆打ちする意味や、いつ逆回りするのが最適な逆打ちのタイミングなのか、そして逆打ちで訪れる見どころについて紹介します。

また、逆打ちに関連する伝承や逸話も取り上げ、四国霊場の神秘的な世界に触れます。四国遍路を通して、歴史と信仰が交錯する地を探索し、心の旅に出かけましょう。

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四国八十八ヶ所の逆打ちする意味とは

四国八十八ヶ所の巡礼、通常は一番札所から順に巡り、結願するのが一般的ですが、その逆の方法である逆打ちには深い意味があります。

逆打ちとは、八十八番札所から始めて四国を反時計回りに巡ることを指します。

この逆行の背景には、単なる巡礼としての行為だけでなく、精神的な修行や悔い改めの意味が込められています。

お遍路の逆打ちの意義

逆打ちの行為は、お遍路道を通常の方向とは逆に歩くことから、通常の巡礼よりも苦労が伴います。

しかし、その苦行こそが、さらなる精神的な成長や徳を授かる機会となるとされています。

この行為には、修行者が自らの心を見つめ直し、悔い改めの意志を固めるという目的が込められています。

逆打ちの由来

逆打ちの由来には、西暦824年(天長元年)の出来事があります。

伊予国(現在の愛媛県)の河野家の一族である衛門三郎は、強欲で非道な生活を送っていました。

ある日、托鉢僧が現れた際に彼は僧を竹箒で追い払いましたが、その結果、鉢が八つに割れ、僧も姿を消してしまいました。

その後、衛門三郎の家族が次々と異変に見舞われ、8年後には全員が亡くなりました。

悲しみに沈む中、衛門三郎の枕元に弘法大師様が現れました。

その瞬間、衛門三郎はついに気づきます。「あの托鉢僧が弘法大師様だったのだ」と。自らが行った非道な行為に対する後悔が彼の心を満たし、懺悔の念が湧き上がります。

かつての罪を償うため、衛門三郎は田畑を売り払い、家族に分け与えた後、妻とも別れ、弘法大師様に赦しを請うための旅に出ます。

この行動が、後の「お遍路さん」の始まりとされています。

しかし、四国を二十回も巡っても弘法大師様に出会うことはできませんでした。

そこで、衛門三郎は思い切った決断をしました。弘法大師様がおいでになった方向とは逆の方向、すなわち四国を反時計回りに巡ることを決意します。

逆の方向からの旅に期待を寄せ、衛門三郎は再び道につきました。

そして、衛門三郎が疲れ果て、阿波国(徳島県)の焼山寺近くで倒れる寸前、ついに目の前に弘法大師様が現れました。

彼は全ての赦しを与えられ、安らかに成仏することができました。この出来事が、逆打ちの意味と所以とされています。

逆打ちは、単なる巡礼の行為に留まらず、悔い改めや精神的な成長を求める者にとっての特別な旅です。

逆の方向から四国を巡り、自らの過ちを省み、新たなる出発を切る機会として、多くの人々にとって意義深いものとなっています。

お遍路の準備はコチラ
>>四国八十八ヶ所お遍路の旅の準備品と納め札の書き方

四国八十八ヶ所の逆打ちはいつするのかはうるう年

四国八十八ヶ所を逆打ちすると、伝承によれば、弘法大師様に再会できるという言い伝えがあります。

お遍路を逆打ちするのがいつなのかですが、最適な時期はうるう年です。

この言い伝えは、衛門三郎が弘法大師様に再会したのが西暦832年の丙申年のうるう年だったことに由来しています。

そこから、四国を反時計回りに巡る逆打ちを四年に一度のうるう年に行うと、通常の順打ちの三回分の御利益があるとされています。

例えば、第51番札所の石手寺(元々は安養寺)では、この伝統を尊重し、本来の御朱印に加えて、希望者に対して特別な衛門三郎再来の御朱印を授与しています。

この特別な御朱印は、逆打ちの意味と由来を感じることができる貴重なものです。興味のある方は、納経所で尋ねてみてください。

また、第12番札所である「焼山寺」でも、逆打ちの伝統を重んじています。

ここでは、お参りが終わった後に納経と御影を受けることが推奨されています。

これらの行為は、四国遍路の礼儀や伝統を守り、心身の浄化と成長を促すものとして、多くの参拝者に愛されています。


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四国八十八ヶ所の見どころ

四国八十八ヶ所の逆打ちを行う際の見どころの一つが、四国霊場の杖杉庵(じょうしんあん)です。

四国霊場の杖杉庵(じょうしんあん)

この場所は八十八ヶ所の札所ではありませんが、衛門三郎が弘法大師様に非礼を詫び、赦しを得た後に息を引き取った地として知られています。

弘法大師様は衛門三郎の遺体を埋葬し、遍路の杖となった杉の木を墓標としました。

その杉の杖から新しい葉が生え、根を張り、やがて大杉となりました。これが杖杉庵の名前の由来です。

杖杉庵は、四国八十八ヶ所の番外編ではありますが、第十二番札所である焼山寺の付近に位置しています。

そのため、衛門三郎終焉の地として訪れる人も多い場所です。

訪れた際には、まず最寄りの第十二番札所である焼山寺に参拝し、その後、杖杉庵を訪れることがおすすめです。

ただし、ほとんどの納経帳には杖杉庵専用のページが用意されていないので、納経後の空白ページに記帳することが良いでしょう。

さらに、弘法大師様が衛門三郎に関連する逸話があります。

弘法大師様と衛門三郎に関連する逸話

弘法大師様が、衛門三郎に対し「望みはあるか」と尋ねたところ、衛門三郎は「来世は河野家に生まれ変わりたい」と託して息を引き取りました。

その際、弘法大師様は、「そなたが悪心すでに消え、善心に立ち還った。この世の果報は、すでに尽きたり。来世の果報は望みに叶うであろう」と述べ、衛門三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせました。

翌年、伊予国(愛媛県)の河野家に男の赤ちゃんが生まれ、その手が握られたまま開かないと心配されました。

そこで、菩提寺である河野家の安養寺の僧侶に祈願したところ、ようやく手が緩んで開きました。その中には驚くべきことに、「衛門三郎」と書かれた石が見つかりました。

第51番札所 熊野山 石手寺

この出来事を受けて、その石は安養寺に納められ、寺の名も「石手寺(いしてじ)」と改められました。

石手寺は四国八十八ヶ所霊場の第51番札所であり、正確には「熊野山 石手寺」とも呼ばれます。

石手寺は道後温泉に近く、屋根のある参道には仏具や土産物、名物のおはぎを売る店が立ち並び、お遍路さんだけでなく、道後温泉の湯治客や観光客でも賑わっています。

また、国宝の仁王門や、重要文化財に指定されている本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、梵鐘など、多くの歴史的な建造物が残されています。

石手寺の名前は、創建当時は安養寺でしたが、寛平4年(892年)に、その河野氏に生まれた子供が小石を握っていたという衛門三郎再来の伝承により、石手寺と改称されました。

宝物館では、「衛門三郎再来」の小石を見学することができますので、ぜひ足を運んでみてください。

2016年の日本遺産認定記念散華についてはコチラ
>>2016年閏年日本遺産認定記念散華の飾り方

まとめ

四国八十八ヶ所の逆打ちは、歴史と伝統が息づく神聖な巡礼の旅です。

逆打ちの意味やタイミング、そしてその背後にある物語を通じて、四国霊場の奥深さを垣間見ることができます。

この旅は心身を浄化し、成長を促すだけでなく、地域の文化や風景とも深く触れ合う貴重な機会です。

さらに、ここで紹介した2ヶ所の納経「杖杉庵(じょうしんあん)」と「第51番札所 石手寺」の御朱印は、逆打ち遍路のいわれとなる衛門三郎にまつわる御朱印の紹介です。

特に、杖杉庵は札所ではありませんので、余裕があれば立ち寄ってみてくださいね。

どうぞ、よいお遍路の旅になりますように。

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